ついつい応援したくなる、動画の中の大家族・漆山家。
でも一歩ネットの世界に踏み込むと「妊娠依存」「気持ち悪い」なんて、あまりに冷たくて胸がザワつくような言葉が目に飛び込んできませんか?
「あの笑顔は本物なのかな…」
「応援したいけど、この言葉がずっと心に引っかかる…」
そんなふうに、温かい気持ちと拭いきれないモヤモヤとの間で揺れているのは、きっとあなただけではありません。
そして何より気になるのが、あの物静かで心優しい三男・りおくんの「現在」。
家族に向けられる世間の複雑な視線の中で、彼はどんな高校生活を送り、何を想っているのでしょうか。
この記事ではそんなあなたの心にそっと寄り添いながら、漆山家を取り巻く光と影の正体、そしてベールに包まれたりおくんの素顔に一緒に迫っていきたいと思います。
漆山家とは?基本情報と家族構成
埼玉県越谷市に、まるで一つの小さな町みたいにパワフルな家族が住んでいるのをご存知ですか?
テレビやSNSでもおなじみの「漆山家」。
15人家族と聞いただけでも「えっ!」と声が出てしまいそうになりますが、知れば知るほどその魅力に引き込まれてしまう、とっても素敵なご一家なんです。
漆山家の家族構成(2024年時点)
親
- 父:漆山 亨(とおる)さん – 美容師・サロン経営者
- 母:漆山 佳月(かづき)さん – 主婦・13人の子どもの母
子どもたち(13人)
- 長男:大和(やまと)くん
- 長女:未来(みく)さん
- 次女:心美(ここみ)さん
- 次男:翔(しょう)くん
- 三男:蒼空(そら)くん
- 三女:結愛(ゆあ)さん
- 四女:心春(こはる)さん
- 四男:陽翔(はると)くん
- 五男:颯(はやて)くん
- 五女:愛結(あゆ)さん
- 六女:莉音(りおん)さん
- 六男:凪(なぎ)くん
- 七女:(名前未公表/2023〜2024年生まれ)
まず、この大家族を率いるお父さんの亨さんとお母さんの佳月さん、このご夫婦が本当にすごいんです。
お二人とも現役の美容師さんで、自分たちのお店を切り盛りしながら6男7女13人ものお子さんを育てているというのですから、そのエネルギーにはただただ脱帽です。
子どもたちの名前もユニークで長男の葵(あおい)くんを筆頭に、男の子は漢字一文字、女の子は漢字二文字で「ん」で終わる響き、というこだわりのルールがあるんだとか。
家族のアイデンティティを大切にする、素敵な習慣ですよね。
テレビ番組で紹介された漆山家
彼らがこれほどまでに注目されるのは、やっぱりテレビ番組「密着!15人大家族うるしやま家」の影響が大きいと思います。
番組で見せる、家族全員で家事を分担したりお互いを思いやったりする姿には、なんだか忘れかけていた大切なものを思い出させてもらえます。
核家族が当たり前になった今だからこそ、あのわちゃわちゃとした温かい日常風景が私たちの心に強く響くのかもしれません。
私もついつい、親のような気持ちで子どもたちの成長を見守ってしまいます。
もちろん、たくさんの注目を集めるということは、それだけ様々な意見にさらされるということでもあります。
でも、どんな家族にもその家族だけの物語や形がありますよね。
漆山家は時にぶつかり、時に涙しながらもそれを上回るほどの大きな愛情で結ばれた、とても人間らしい家族なんだと思います。
彼らのありのままの姿に元気をもらう人がたくさんいる。
それが何よりの答えではないでしょうか。
これからも漆山家らしいパワフルな毎日をそっと応援していきたいな、なんて思っています。
漆山家が妊娠依存と言われる理由は?
大家族・漆山家の物語を語る上でどうしても避けて通れないのが、お母さんである佳月さんの妊娠と出産にまつわるお話ですよね。
彼女がこれまでに11回もの流産を経験されたという事実は、聞くたびに言葉では言い表せないほどの重みを感じます。
数字だけ見てもその辛さは計り知れませんが、一つひとつの命と向き合ってきた彼女の心を思うと本当に胸が締め付けられるようです。
だからこそ、多くの人が「もう無理しないで」「体を大切にしてほしい」と、まるで自分の家族のことのように心配してしまうのでしょう。
その一方で、その壮絶な経験を経てもなお新しい命を望み続ける彼女の姿に「どうしてそこまで…」と、ある種の畏敬の念を抱く人もいるはずです。
「趣味は妊娠」という発言に賛否
そんな中で、過去に佳月さんが口にした「趣味は妊娠」という一言が、一人歩きしてしまいました。
この言葉は本当に難しくて、まるで魔法の鏡のように受け取る側の心を映し出してしまうような気がします。
「なんて素敵な言葉だろう!それくらい命の誕生が喜ばしいことなのね」と温かく受け止める人もいれば、「命を『趣味』だなんて、不謹慎だ」と顔をしかめる人もいる。
私個人としては、もしかしたらこれは何度も心をすり減らしてきた彼女が悲しみを乗り越えるためにまとった、一種の明るい鎧のような言葉だったのかもしれないな、なんて想像してしまいます。
そうでなければ、とてもじゃないけど前を向いて歩き続けられない…そんな、ギリギリの強さの表れだったのではないでしょうか。
この発言と何度も妊娠に挑む姿が相まって「妊娠依存」なんていう、少しショッキングなレッテルが貼られてしまうことがあります。
でも、この言葉に医学的な根拠なんてありません。
どちらかというと「私たちの理解を超えるもの」に対して、人々が分かりやすい名前をつけて安心したいという心理が働いているのかもしれませんね。
もちろん、「これ以上家族が増えて子どもたち一人ひとりにちゃんと愛情を注げるの?」と計画性を心配する声も、子どもたちの幸せを願うからこその大切な視点だと思います。
でも、漆山家には彼らだけのチームワークと愛情の形があります。
私たちがテレビの画面越しに見ているのは、そのほんの一部分に過ぎません。
結局のところ、家族の数だけ幸せの形はあるはずです。
漆山家への様々な意見は、案外、私たち自身が「家族」や「幸せ」というものにどんな幻想や理想を抱いているのかを映し出してくれているのかもしれませんね。
部外者である私たちがとやかく言うよりも、ただこのユニークでパワフルな家族の物語を静かに、そして温かく見守っていく。
そんなスタンスが一番心地よいのかもしれないなと私は思います。
漆山家の妊娠依存の裏に潜む真実
漆山家という一つの「国」を覗いてみると、そこには驚くほど精巧で温かい社会が成り立っていることに気づかされます。
15人もの国民(家族)が暮らすこの国では、子どもたち一人ひとりがちゃんと自分の役割を持った立派な一員。
お姉ちゃんが下の子の髪を結ってあげたり、お兄ちゃんが泣いている子をあやしたり。
そんな光景が日常茶飯事だなんてまるで美しい理想郷のようですよね。
お母さんの佳月さんが「子どもたちは家族の宝」と語る、その言葉通りの世界がそこには広がっています。
家事や育児を「手伝う」のではなく「自分たちの仕事」として協力し合う中で、子どもたちは机の上の勉強だけでは学べない、生きるための知恵と思いやりの心を自然と身につけていくのでしょう。
でも、この輝かしい国の礎には、私たちが想像もできないほどの佳月さんの痛みと覚悟が深く刻まれています。
11回もの流産、そして動脈瘤という命に関わる大病。
その一つひとつが彼女の心と体にどれだけの爪痕を残したことか。
それでも彼女が再び立ち上がり前を向き続けられたのは、きっと「家族」という何よりも強い光があったからなのでしょう。
辛くてうずくまりそうな夜も、そばで手を握ってくれる夫がいて無邪気な笑顔で「ママ!」と駆け寄ってくる子どもたちがいる。
その温もりこそが彼女にとって最高の薬であり、明日へのエネルギーになったに違いありません。
アンチにも屈しない強さが素敵
もちろんこれだけ大きな家族ともなれば、世間の風当たりが強くなることもあります。
「美容室の収入だけでこの先も本当に大丈夫なの?」という現実的な心配の声。
「いじめや不仲があるんじゃないの?」なんていう根も葉もない噂。
そして、彼女の壮絶な経験を知った上でなお投げつけられる「妊娠依存」という、あまりにも無神経な言葉。
正直に言って腹立たしい気持ちにもなります。
でも、彼らがSNSやYouTubeで自分たちの日常を発信し続けるのは、そうした声に反論するためなんかじゃないと私は思うのです。
それはきっと「これが私たちの幸せの形なんだ」という、静かだけれど揺るぎない誇りの表明なのでしょう。
誤解や偏見に満ちた世界に向けて「あなたたちの物差しで私たちの幸せを測らないで」と、その生き様そのもので語りかけているような気がしてなりません。
そこには批判される覚悟と、それを上回るほどの家族への深い愛情が溢れています。
だからこそ、私たちは漆山家の物語に心を揺さぶられ、時に涙し、そして自分自身の「家族」や「幸せ」について改めて考えるきっかけをもらうのかもしれませんね。
漆山家に気持ち悪いの声も
漆山家には時にとても冷たい言葉も投げかけられることがあります。
それを見ていると、なんだか胸がチクッとすることがあります。
中でも「気持ち悪い」というあまりにも鋭利な一言。
信じがたいかもしれませんが、ネットの世界の片隅では彼らの生き方をそのように表現する人たちがいるのも悲しい現実です。
一体なぜそんな言葉が生まれてしまうのでしょうか。
少しだけその心の奥底を想像してみたいと思います。
「普通」という物差しからかけ離れているのが原因か
思うに、一番の根っこにあるのは私たちの多くが持つ「普通」という物差しなのかもしれません。
核家族で育ち、それが当たり前になった私たちにとって、15人家族の暮らしはまるで遠い国の物語かあるいはファンタジーの世界のように映ります。
人は自分の理解や想像をはるかに超えるものに出会ったとき、感動や憧れを抱く前にまず戸惑い、時に無意識の拒絶反応を示してしまう生き物なのかもしれません。
それは自分たちがよじ登ってきた「当たり前」という壁を守ろうとする、一種の防衛本能なのでしょう。
その戸惑いに、「妊娠依存」という噂や「趣味は妊娠」といった刺激的な言葉の断片が油を注ぎます。
一度そうした色眼鏡をかけてしまうともうおしまいです。
家族が増えることの純粋な喜びも、たくさんの子どもたちの屈託のない笑顔も、その色眼鏡を通せば「ほらやっぱり普通じゃない」という、歪んだ結論の材料にされてしまう。
そんな、悲しい化学反応が起きてしまうのです。
「メディア」の取り上げ方にも原因がありそう
さらに、テレビという魔法の箱は時に残酷です。
視聴率という魔物のために、長い長い日常のほんの一瞬をまるでそれが全てであるかのように切り取って見せることがあります。
私たちは、その巧みに編集されたパズルのピースだけを見て知った気になってしまう。
そのピースが自分の持つ「幸せの形」のパズルと合わなかったとき、違和感は不快感へ、そして「気持ち悪い」という、あまりに短絡的で暴力的な言葉へと姿を変えてしまうのかもしれません。
そう考えると「気持ち悪い」という言葉は、漆山家を映す鏡ではなく、それを口にした人自身の心の弱さや戸惑いを映し出す歪んだ鏡なのではないでしょうか。
自分の価値観が揺さぶられることへの恐怖。
それを自分よりずっと強い光を放つ存在にぶつけることで、なんとか自分を保とうとしている…。
漆山家という、複雑で豊かで愛に満ちた一つの壮大な物語を、そんなちっぽけな言葉で片付けてしまうのは、あまりにも失礼で、そして何よりもったいないことだと私は思います。
漆山家のりおくんは現在何してるの?
大家族・漆山家の物語をずっと追いかけていると、まるで親戚の子どもの成長を見守るような特別な気持ちになる子がいますよね。
私にとって、その一人が三男の璘(りお)くんです。
2007年生まれの彼も、2025年の今、18歳。
あの頃、テレビの画面越しに見ていた物静かで優しい少年が、もうすっかり大人への扉を開けようとしているなんて、時の流れの速さに驚くと同時に胸がなんだかジーンと熱くなります。
りおくんといえば、いつも穏やかに微笑んでいて、嵐のような賑やかさの中にあってもまるで静かな湖のようにそっと家族を支えてきた印象がありませんか?
決して自らを主張するタイプではないけれど、その瞳の奥にはいつも揺るぎない誠実さと家族への深い愛情が宿っていました。
交通事故からの奇跡の生還
過去には交通事故で意識不明になるという大怪我も経験しており、その試練を乗り越えた彼の存在は、なおさら私たちの心を掴んで離さないのかもしれません。
だからこそ、つい考えてしまうんです。
あの特殊な環境の中で、そして時には心ない言葉が飛び交う世間の喧騒の中で多感な時期を過ごしてきた彼の心は、一体何を思ってきたのだろうと。
あまりに優しく物分かりが良いように見えたからこそ、「本当は我慢しているんじゃないかな」「自分の本音をちゃんと伝えられているのかな」なんて、余計な心配をしてしまうのです。
高校を卒業し、人生の大きな一歩を踏み出した今、彼がどんな道を選び、どんな未来を描いているのか。
その答えの一つが、もし両親と同じ「美容師」への道だったとしたら、それはもう涙なしには語れません。
それは単なる職業選択ではなく、彼がその人生をもって家族への愛と尊敬を示した、何より雄弁なアンサーのように思えるからです。
私たちがりおくんの「今」に惹かれるのは、ゴシップ的な興味からではなく、一人の青年が自らの人生とどう向き合い、何を大切にして生きていこうとしているのか、その純粋な物語に触れたいからなのでしょう。
彼がその穏やかな表情の内に秘めてきたであろう「芯の強さ」。
それこそがこれからも彼の人生を照らす何よりの道しるべになるはずです。
「りおくん」から「りおさん」へ。
一人の立派な青年として歩み始めた彼の未来が、温かい光とたくさんの笑顔で満たされることを心から願ってやみません。
漆山家のりおくんの高校はどこなの?
漆山家の三男・りお(璘)くんが通っていた高校はどこなのでしょうか。
目が離せない子の一人だったので、ついつい気になって調べてしまいました。(笑)
でも残念ながら、具体的な高校名は現在のところ公表されていないみたいです。
考えてみてください。
ただでさえ「漆山家の子」という、大きな看板を背負って生きている彼です。
学校という人生で一度きりの特別な場所でくらい、その看板をそっと下ろして「ただの、りおくん」として過ごさせてあげたい。
それはきっとご両親の切なる願いであり、そして何より彼自身が望む平穏なのではないでしょうか。
学校名を明かさないのはプライバシー保護という事務的な言葉では片付けられない、息子への深い愛情から張られた「結界」のようなものなのだと私は思います。
漆山家が暮らす”埼玉県越谷市”というヒントを頼りに「あのへんの高校かな?」なんて想像を巡らせることはできても、なんやかんやと詮索し過するのは可哀想すぎます。
友達とくだらない話で笑い合ったり、部活に汗を流したり、淡い恋に悩んだり…そんな誰にでもあるべきキラキラとしたありふれた青春を誰にも邪魔されずに満喫する権利が、彼にはあるんです。
だから私たちの「知りたい」という気持ちは、彼の日常を脅かす刃になってはいけません。
それは、彼の魅力に惹かれるからこその純粋な好奇心だとしてもです。
彼の成長や幸せを本当に願うのなら、私たちはその宝箱の鍵を探すのではなく、箱がいつまでもピカピカに磨かれ続けることを遠くからそっと祈るべきなのでしょう。
高校という場所の情報よりも、彼がその中でどんな素敵な友人に出会い、どんな忘れられない経験を心に刻んでいるのかを想像する。
それこそがファンに許された、最高に楽しくてそして何より優しい「推し活」なのかもしれませんね。